1984-02-16 第101回国会 衆議院 予算委員会 第5号
マッカーサー司令部へ行っていろいろ草案をつくるのを相談して、ウイリアムズからいろいろ忠告を受けて、そしてあのとき受田新吉君も一緒にやりましたが、何々したり何々したりという言葉を入れたのは、初めて法律にそういう言葉を入れたのは、私と受田君が相談して入れたのであります。
マッカーサー司令部へ行っていろいろ草案をつくるのを相談して、ウイリアムズからいろいろ忠告を受けて、そしてあのとき受田新吉君も一緒にやりましたが、何々したり何々したりという言葉を入れたのは、初めて法律にそういう言葉を入れたのは、私と受田君が相談して入れたのであります。
○亀岡委員長 なお、受田君に対する弔詞は、本日の本会議において議長からその贈呈を報告し、弔詞を朗読されることになります。 なお、本日の本会議において、議長が弔詞を朗読される際は、議員の方及び議場におられる方は御起立願うことになっておりますので、御了承願います。 —————————————
○玉生小委員長代理 受田君。
○正示委員長 受田君。
○笹山主査 これにて受田君の質疑は終了しました。 少し繰り上げるようでございますが、次には小沢貞孝君。 〔主査退席、片岡主査代理着席〕
○藤尾委員長 受田君にちょっと申し上げますが、防衛庁長官は八時三十分から米国のウォーターハウス博士と会談される予定になっております。 そこで、まことに恐縮ですが、集中的に防衛庁長官に御質問をいただきまして、八時十分ぐらいまでに御退席をお許しいただきたいと思います。
受田君。
○大平国務大臣 受田君の御見識には、それなりに私は敬意を表します。ただ、あなたに御理解いただいておきたいのは、国際社会の中で日本は先進国という立場でおつき合いをいたしておるわけでございます。
受田君の趣旨まことに同感だ、その線に沿うて鋭意急ぎ努力しようというくらいのことは、あなたの答弁から得られるかと思ったけれども、まあ、あなたの御性格で、別に悪人じゃないですから、なにしておきましょう。 それで、この問題は、具体的に法案へもしばしば触れたことでありますので、以上をもって質問を終わります。御苦労さまでした。
○小宮山委員長代理 受田君。
○大平国務大臣 受田君も日本語に精通されておる方でございますので、「近い将来」ということの意味は、釈迦に説法になりますから……。御理解いただけることと思います。
○小宮山委員長代理 受田君。
○徳安委員長 受田君。
○大平国務大臣 受田君のむずかしくない議論としてお相手さしていただきますが、外務省といたしましては、国内的には日本国憲法を順守していかなければいかぬ、そう考えております。 それで、天皇が外国に行かれる、あるいは総理大臣が行かれるという場合、私が承知しておるところでは、天皇の御訪問あるいは総理大臣の訪問というような姿で発表されておるわけでございます。
○大平国務大臣 受田君も御承知のとおり、国会で政府が申し上げておりますのは、これからのインドシナ政策、とりわけベトナム政策は、せっかくでき上がりましたパリの和平協定を踏まえて考えていきたいということを申し上げておるわけでございます。 このパリの和平協定というものには、いまあげられました南ベトナムの臨時革命政府というのは、当事者としての立場を持っておるようでございます。
○大平国務大臣 いま、受田君も御案内のように、世界は首脳外交が重視される段階になっておりまして、最高首脳が絶えず意思の疎通をはかっておく必要があると考えております。したがって私は、田中総理におかれても、事情の許す限り御招請を受けておる国につきましては、精力的に御訪問をお願いしたいと考えております。
○伊能委員長 受田君に申し上げますが、二時になりますので……。
ただいま受田君御指摘になりましたように、さような観点に立っての事柄でございます。また今後もいろいろ国家的慶事は次々に行なわれるだろうと思いますが、おそらく選挙についての問題は同じような扱い方をされるだろう、かように思う次第でございます。
○伊能委員長 伊藤君に申し上げますが、受田君が関連があるということもありますので、外務大臣に対する質問、しかるべくお願いいたします。
○伊能委員長 関連して、受田君。
○内閣総理大臣(佐藤榮作君) 受田君にお答えをいたします。 さすがに、教育者であられただけに、お話しになることも肯綮をついておる、かように私思います。 戦後の平和と民主主義に徹したわが国におきまして、これと全く相反する暴力革命を信奉する集団が生まれた原因につきましては、簡単に結論づけることは困難であります。
○国務大臣(中村寅太君) 受田君の質疑にお答えいたします。 警察は連合赤軍あるいは極左暴力学生を泳がしておるのではないかという質問でございますが、極左暴力学生集団によります七〇年の安保闘争が本格化いたしました昭和四十二年の十月八日、第一次羽田闘争以来、昨年末までの間に、殉職しました警察官が六名、負傷しました警察官が一万八千余名に及んでおります。
○国務大臣(前尾繁三郎君) 受田君にお答えいたします。 私に関する問題は、二度とこういう事件を引き起こさない、それに対する私の所感を求められたものと思います。 私は、何といっても、現在行なわれた事件を徹底的に糾明することがまず第一だと思っております。
右手以外の関節という関節に全部ギブスをはめられながら、受田君はこう語って、死んだ人たちがかわいそうだと泣いておられました。(拍手) 総理、一体この事実を何とお聞きになりますか。いやしくもこれが防災と科学の名を冠した実験の結果といえるでありましょうか。このような無謀な、拙劣な実験が、かつて内外にあったでありましょうか。
○伊能委員長 受田君に申し上げますが、だいぶ時間が……。